英国人の夫との幸せな毎日 
夫の弟の愛する人
2008年07月11日 (金) | 編集 |
今日は夫の弟の奥さんについて、書こうと思うの。
私も夫も彼女が、好きじゃない。
だから、愚痴っぽく、悪口っぽくなると思うので、避けてきたのだけど。

ここで発散させてしまおう!!!

だから、気分が良くなかったら、読まないでね。


夫の弟はとてもシャイな人。
特に女性と話すのが苦手。
夫の知る限り、だれとも付き合ったことがない。
“秘書の女の子が、毎朝挨拶してくれるから、今度誘ってみようかな?”と言ってたけど、結局誘えずじまい。
そんな彼に、ガールフレンドができたらしいと聞いたのは13年前。
彼が35歳の時だった。

よかったね~~!!

夫と私は心から喜んだものだった。
ところが、彼女の話を聞いて、かなり、フクザツ。
というのも、彼女、オープンリレイションシップの人らしい。
たまに、こういう人いるのだけど、これ、ベッドを共にするのは一人でなく、それはオープン。
早い話がだれとでも寝る人。
弟と寝た時も、一緒に暮らしている男性もいた。
“でも、私の知ってる(そういう)女の子はものすごくいい子だった”と夫。
そうね。性格はいい人かも。弟が好きになった人だもの。

夫の実家に帰省した時、夫の古い友達を呼んでパーティーを開いた。
そこに、彼女を連れ来ると言う。
“どんな人かしら”
楽しみだった。
彼が前に恋した女性は、ホントに素敵な女性。

現れた彼女を見て、言葉を失った。
大きく胸と肩を開けた黒のトップス、ヒョウ柄のミニスカート。
どちらも体にぴちぴち。
真っ赤な髪はカールのセミロング。
どう見ても、普通の女性に見えない。
どう見ても、彼の好みでない。

みんなが帰ったあと、家族だけになった。
ガールフレンドの彼女もいた。
ソファに座り、ミニスカートの脚を広げて(ソファの)テーブルの上に乗せていた。
自分がどんなにパソコンができるか等々、自慢話を聞いた。
それでも、弟は彼女がかわいくてかわいくて仕方ない様子。
話す彼女をニコニコ見守り、それはそれは幸せそうだった。
初めての、なんでも話せる女性だそうだ。
とてもじゃないけど、何も言えない。

彼女は時々、来るようになった。
マムに対して、異様に冷たい。
マムに話をしたのを、結局1度も見たことがない。
Sit !(座れ!) Eat !(食べろ!)犬のように命令する。
弟も彼女の前では、マムに口をきかないようになった。

しばらくして、彼女と暮らしていた男性は、彼女を捨て、出て行った。
しばらくして、弟は彼女と暮らすようになった。
しばらくして、家を買うために、という理由を付けて、彼女に求婚した。
でも、ホントの理由は、彼女のことを死ぬほど愛しているから。
彼女に自分の持っている物を、すべてあげたいから。
たとえ、彼女が他の男と寝ても、彼女の夫という存在になりたいから。

6年前、結婚した。
なんでもイエスと言う関係にならないように言ったのに。
彼は彼女を愛し過ぎている。
その愛情バランスは重心がずれ過ぎている。
彼は彼女を死ぬほど愛し、彼女は彼と、彼に付随する家族などをバカにしきっている。
彼女にとっても、不幸なこと。
バカにしている男と、一緒にいるなんて。
でも、どんなことをされても、彼は彼女と別れないだろう。

彼女はすべて、自分が1番と思っている人。
もちろん、日本人なんか、ものすごく見下しています。

書いたら、すっきりするかと思ったけど、鬱屈とした気持ちが残っちゃった。
きのうの夜、夫と彼女のことを話したので、思い出したのだけど。
やっぱり、彼女のことは、考えないようにするのがいちばんかな。
あんな人のことで、気分が悪くなるなんて、そのほうがバカみたい。
もし、全部読んでくれたら、ごめんなさい。

いまね!虹がかかったの!!うれしいっ!!!

ハグ、気持ちいい♡
2008年06月16日 (月) | 編集 |
きのうの夜、キッチンで夫に抱きとめられた。

ん~~♡ハグ、気持ちいい~~♡

夫の腕の中で、しばしうっとり。
ハグって、ほんとに気持ちいい。

夫の母が独りになってから、母を訪ねる時、
“抱き上げて、グルグル回してあげて”と、夫に頼んだ。
夫を亡くしてから、ほんとのハグをしてくれる人はいないはず。
玄関の前で、息子にグルグルされて、マムはキャッキャッと笑ってた。

言葉より、何よりも、伝わる体温が心を温めてくれる。
母を訪ねる度、私はマムにキスの雨を降らせた。
“イギリス人は人前でキスをしない”とか言ってたけど、幸せそうだった。

同じように、年をとってきて不安を募らせる私の父。
“これから、どうなるんだろう”
大きくハグをしてあげたいけど、そうすれば少しでも心が温まるかもしれないけど。
やっぱり、できない。
日本人の親子、ハグはやっぱりできないよ。
ごめんね、お父さん。
お父さんは、お父さん。
もし、お父さんが子供に戻ったら、できるかも。
いまはまだ、私がお父さんの子供。

マム&ダッドの写真

懐かしくなって、前にも載せた写真。また載せちゃった。
この写真撮るとき、デジカメの”顔認知”が働いて、写真のふたつの顔にマルが出て、
へぇ~~!!って驚きました。

思い出して、食器棚から出してみました。
夫の実家にあった、飾り模様の美しい銀のお魚用のナイフとフォーク。
フィッシュナイヴス&フォークス

久し振りに出したら、黒ずんじゃって。
古き良き時代を思わせる美しい物。
実用からは遠いけどね。

夫の父の趣味はアンティークの細工時計集め。
ダッドの時計

小さなおもりのついたヒモ(?)が左右の支柱に巻き付いては離れ、を繰り返して動く。
昔は価値のある物をたくさん集めていたらしいけど、ドロボーに入られちゃったんだって。

ダッドの腕時計も兄弟でわけようって、うちも金の古い時計を貰ったのだけど、
メーカーに問い合わせたら、分解してキレイにしたりとかで28万も!!!かかると言われ(まだ動くのに)、そのままです。
ダッドの腕時計
捨てる訳にもいかないし…。

梅子からクリスマスローズ
2008年06月14日 (土) | 編集 |
今朝、うちでも揺れた。
“長かった”と、夫。
データ放送で確認したけど、この辺は震度1にも満たない揺れだったみたい。
プーケットで経験した揺れは、すご~く長~い揺れだった。
強い地震だったら、津波!って思ったかもしれないけど、弱い地震だったから、考えもしなかった。
やっぱり、海辺では揺れが弱くても、警戒しないといけないのね。

今まで自分で梅の木を切ったりしていたけど、アブラムシがついちゃった。
消毒してもらったら?って言われて、あっ、そうか!!!
植木屋さんに頼めばいいんだ!
“3mくらいの梅の木に、アブラムシみたいのがついちゃって”
植木屋さんに電話して、見に来てもらった。
“一本だけだと、割高になっちゃうけど”
仕方ない。来年もきれいに咲いて欲しいから。
話をしていたら、メジロが飛んで来た。
ぴよぴよと楽しげに鳴くこの鳥を、夫はハミングバードと呼んで、愛して止まない。
“ほんとだ。メジロのつがいだ”、植木屋さん。
“巣があるんですよ”
“あ、そうそう。あれ、メジロの巣”
もう、お願いしたあとだけど、切りたくなくなりました(泣)
梅子(梅の木の名前)のためでもあります。

結婚してわかった夫の花や植木音痴。
花や木の名前は知ってる。聞いたことがある。
でも名前と実際の花や木と結びつかない。
わかるのは、バラとチューリップくらい!!
昔、お花を買ってきてくれたことがあるのだけど、それが…

仏様用のお花だったのよ~。

まぁ、外国人にはわからないかもしれないけど。
これがアゼイリア(つつじ)、これがカメリア(椿)、これがガーデニア(クチナシ)等々、教えてあげてます。
草木の名前を知らないのは、家族ゆずりだった。
夫の実家に行った時、ダッドが自慢げに、
“これはクリスマスローズ。クリスマスの頃に咲くから。”

それ、ハイビスカスなんですけど~!

夫の弟が結婚して、お嫁さんにその話をしたら、
“これがクリスマスローズでしょ?”

それはポインセチアです!!

…教えてあげました。


Mum
2008年05月15日 (木) | 編集 |
夫の父が亡くなって、母、マムは一人暮らしになった。
一人暮らしは病気になった時に困る。特に年寄りは。
マムは元々とても細くて、体の強くない人だった。
病気になると外に出られない。買い物が出来ない。食べるものもなくなる。
食の細い人だったのが、ハムを1、2枚だけ。なんてこともあって、離れて住む私たちは死ぬほど心配した。
幸い隣の人がそれはそれはいい人たちで、マムは彼らのおかげで生き延びたと言っても、決して過言ではない。
父の存命中から老人ホームの申し込みをしていたが、医師がマムを優先的に入れるべきとして、入居が決まった。
住み慣れた家を離れることはショックだったに違いない。
私たちも実家に行き、夫の兄と弟も来て家の整理をした。
マムはそこに住む英国婦人会(English ladies club)の親しい友人を呼んで、好きなものをなんでも持って行って、と言ったけど、殆どは処分しなければならなかった。
老人ホームは介護付き(?)広いワンルームマンションという感じ。
車椅子でも使える広めのバスルーム、キッチンで自炊も出来る。(マムは3食ともホームにお願いした)
4人掛けのダイニングセットとソファのセット、ベッドとワードローブを入れた。(けっこう広い)
外にはバルコニーもあって、そこにもベンチを置いた。
完全に個人の自由が認められていて、ペットもOKだった。
引っ越しを済ませて、マムと私たちは3人でアイルランドに旅行した。
旅行の間は、私たちと一緒が嬉しいし、引っ越しのことも忘れられるからか、マムはとても楽しそうだった。
アイルランドの人たちも年寄りにとても優しくて。
マムは本当は私たちと暮らしたがっていたけれど、難しい。
マムは日本語を一言も話せない。(何年も習っていたけど)
友達もいないし、病気の時にお医者さんとコミュニケーションも出来ない。
入院しても、どこが悪いのか、何が欲しいのか、24時間ついていなくちゃ!
とても現実的でない。
かといって、あちらに私たちが行くことも、夫には仕事があるし、私の父もいるし、できなかった。
マムが老人ホームに入って、安心した。
独りでいたときの心配が無くなった。
私たちは年に1、2度ゲストルームに滞在して、マムと過ごした。
たまには短い旅行もした。
マムはいろんなことを忘れていくようになった。
特に話をする時に、単語が頭の中で見つけられなくなっていた。
言ってることはわかるけど、言いたいことが難しかった。
それでも私の手を取り、
”I got three. This is number four.”(マムは3人の息子がいる)
とてもうれしかった。
少しずつ、いろいろなことが難しくなっていった。
そして少しずつ、生きていくのがたいへんになっていった。
2003年の3月、アメリカがイラクに攻撃を始めた翌日、私たちは機上の人になった。
オランダのスキプホール空港に着くと、弟の奥さんが迎えに来ていた。
なんで?
”マムがストローク(脳卒中)で倒れた。今晩が山らしい。”
一晩、空港近くのホテルで休む予定をキャンセルし、電車に乗って3時間、老人ホームに向かった。
日本だったら、病院に運ばれて、点滴やいろんな計器を着けられている所だろうけど、マムは自分のベッドに寝ていた。
夜中、日付が変わって、息を引き取った。
ダッドが逝ってから10年後のことだった。
マムは待っていてくれたんだ。立ち会うことができた。
ダッドも私たちを待っていてくれて、ハートアタックで亡くなった。
ある意味、本当に幸運だった。
マムはダッドの写真にキスをしていた。
天国でまた一緒になれて、私の母とも会っただろう。
私はマムをとても愛していた。本当にかわいい人だった。
4人目になれて、幸せだった。
大切な思い出
2008年05月09日 (金) | 編集 |
結婚して半年あまり経って、初めて夫の実家に行った。
欧州系で一番安いサベナベルギー航空を利用した。(今はつぶれて、もうない)
ブリュッセル空港に着いたものの、雪で(2月)飛行機が飛ばず、4時間以上待たされた。
ようやく搭乗の案内があり、ゲートに行ってみると、バスより小さい飛行機が!!
(あんな小さい飛行機初めて見た!一列3人だったと思う)
雪の中、アムステルダムの空港に着いて、乗降口が開けられた。
そこに、地上スタッフ。
Congratulations!!!そして拍手!!
えっ?!そんなに危なかったの?!

荷物を取りに行って、二度驚いた!
なんと荷物を全く積まずに飛んだのだった。
そんなに危ないってわかってたら、ベルギーで一泊してたのに!!

空港から急行で3時間あまり。
雪で電車も影響を受けたらしく、途中から私だけが座れた。
時差と疲れで、泥のように眠った。

着いたのは真夜中。日付がかわる頃だったと思う。
駅のホームには夫の両親が肩に雪を積もらせて待っていてくれた。
(これを母に手紙で書いたら、自分の娘が歓迎されて、涙がでたって言ってた)

翌日、夫の弟もやってきて、3人で雪かき!
写真を見ると、15cmくらい積もってた。(東京と一緒で雪に弱いのね)
雪かきが終わり、家に入ろうとする弟の背中に、私は雪の球を投げた。
振り向いた弟の顔にいたずらっ子の笑顔!そして雪合戦!!
笑い声にマムも出て来た。
“Children, children, children. Don't be naughty !”
言ってるマムもものすごく楽しそうだった。
私が夫の家族から、心から愛された瞬間だった。