私と夫と猫の幸せ生活

英国人の夫との幸せな毎日 
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夫の弟の愛する人

今日は夫の弟の奥さんについて、書こうと思うの。
私も夫も彼女が、好きじゃない。
だから、愚痴っぽく、悪口っぽくなると思うので、避けてきたのだけど。

ここで発散させてしまおう!!!

だから、気分が良くなかったら、読まないでね。


夫の弟はとてもシャイな人。
特に女性と話すのが苦手。
夫の知る限り、だれとも付き合ったことがない。
“秘書の女の子が、毎朝挨拶してくれるから、今度誘ってみようかな?”と言ってたけど、結局誘えずじまい。
そんな彼に、ガールフレンドができたらしいと聞いたのは13年前。
彼が35歳の時だった。

よかったね~~!!

夫と私は心から喜んだものだった。
ところが、彼女の話を聞いて、かなり、フクザツ。
というのも、彼女、オープンリレイションシップの人らしい。
たまに、こういう人いるのだけど、これ、ベッドを共にするのは一人でなく、それはオープン。
早い話がだれとでも寝る人。
弟と寝た時も、一緒に暮らしている男性もいた。
“でも、私の知ってる(そういう)女の子はものすごくいい子だった”と夫。
そうね。性格はいい人かも。弟が好きになった人だもの。

夫の実家に帰省した時、夫の古い友達を呼んでパーティーを開いた。
そこに、彼女を連れ来ると言う。
“どんな人かしら”
楽しみだった。
彼が前に恋した女性は、ホントに素敵な女性。

現れた彼女を見て、言葉を失った。
大きく胸と肩を開けた黒のトップス、ヒョウ柄のミニスカート。
どちらも体にぴちぴち。
真っ赤な髪はカールのセミロング。
どう見ても、普通の女性に見えない。
どう見ても、彼の好みでない。

みんなが帰ったあと、家族だけになった。
ガールフレンドの彼女もいた。
ソファに座り、ミニスカートの脚を広げて(ソファの)テーブルの上に乗せていた。
自分がどんなにパソコンができるか等々、自慢話を聞いた。
それでも、弟は彼女がかわいくてかわいくて仕方ない様子。
話す彼女をニコニコ見守り、それはそれは幸せそうだった。
初めての、なんでも話せる女性だそうだ。
とてもじゃないけど、何も言えない。

彼女は時々、来るようになった。
マムに対して、異様に冷たい。
マムに話をしたのを、結局1度も見たことがない。
Sit !(座れ!) Eat !(食べろ!)犬のように命令する。
弟も彼女の前では、マムに口をきかないようになった。

しばらくして、彼女と暮らしていた男性は、彼女を捨て、出て行った。
しばらくして、弟は彼女と暮らすようになった。
しばらくして、家を買うために、という理由を付けて、彼女に求婚した。
でも、ホントの理由は、彼女のことを死ぬほど愛しているから。
彼女に自分の持っている物を、すべてあげたいから。
たとえ、彼女が他の男と寝ても、彼女の夫という存在になりたいから。

6年前、結婚した。
なんでもイエスと言う関係にならないように言ったのに。
彼は彼女を愛し過ぎている。
その愛情バランスは重心がずれ過ぎている。
彼は彼女を死ぬほど愛し、彼女は彼と、彼に付随する家族などをバカにしきっている。
彼女にとっても、不幸なこと。
バカにしている男と、一緒にいるなんて。
でも、どんなことをされても、彼は彼女と別れないだろう。

彼女はすべて、自分が1番と思っている人。
もちろん、日本人なんか、ものすごく見下しています。

書いたら、すっきりするかと思ったけど、鬱屈とした気持ちが残っちゃった。
きのうの夜、夫と彼女のことを話したので、思い出したのだけど。
やっぱり、彼女のことは、考えないようにするのがいちばんかな。
あんな人のことで、気分が悪くなるなんて、そのほうがバカみたい。
もし、全部読んでくれたら、ごめんなさい。

いまね!虹がかかったの!!うれしいっ!!!

ハグ、気持ちいい♡

きのうの夜、キッチンで夫に抱きとめられた。

ん~~♡ハグ、気持ちいい~~♡

夫の腕の中で、しばしうっとり。
ハグって、ほんとに気持ちいい。

夫の母が独りになってから、母を訪ねる時、
“抱き上げて、グルグル回してあげて”と、夫に頼んだ。
夫を亡くしてから、ほんとのハグをしてくれる人はいないはず。
玄関の前で、息子にグルグルされて、マムはキャッキャッと笑ってた。

言葉より、何よりも、伝わる体温が心を温めてくれる。
母を訪ねる度、私はマムにキスの雨を降らせた。
“イギリス人は人前でキスをしない”とか言ってたけど、幸せそうだった。

同じように、年をとってきて不安を募らせる私の父。
“これから、どうなるんだろう”
大きくハグをしてあげたいけど、そうすれば少しでも心が温まるかもしれないけど。
やっぱり、できない。
日本人の親子、ハグはやっぱりできないよ。
ごめんね、お父さん。
お父さんは、お父さん。
もし、お父さんが子供に戻ったら、できるかも。
いまはまだ、私がお父さんの子供。

マム&ダッドの写真

懐かしくなって、前にも載せた写真。また載せちゃった。
この写真撮るとき、デジカメの”顔認知”が働いて、写真のふたつの顔にマルが出て、
へぇ~~!!って驚きました。

思い出して、食器棚から出してみました。
夫の実家にあった、飾り模様の美しい銀のお魚用のナイフとフォーク。
フィッシュナイヴス&フォークス

久し振りに出したら、黒ずんじゃって。
古き良き時代を思わせる美しい物。
実用からは遠いけどね。

夫の父の趣味はアンティークの細工時計集め。
ダッドの時計

小さなおもりのついたヒモ(?)が左右の支柱に巻き付いては離れ、を繰り返して動く。
昔は価値のある物をたくさん集めていたらしいけど、ドロボーに入られちゃったんだって。

ダッドの腕時計も兄弟でわけようって、うちも金の古い時計を貰ったのだけど、
メーカーに問い合わせたら、分解してキレイにしたりとかで28万も!!!かかると言われ(まだ動くのに)、そのままです。
ダッドの腕時計
捨てる訳にもいかないし…。

梅子からクリスマスローズ

今朝、うちでも揺れた。
“長かった”と、夫。
データ放送で確認したけど、この辺は震度1にも満たない揺れだったみたい。
プーケットで経験した揺れは、すご~く長~い揺れだった。
強い地震だったら、津波!って思ったかもしれないけど、弱い地震だったから、考えもしなかった。
やっぱり、海辺では揺れが弱くても、警戒しないといけないのね。

今まで自分で梅の木を切ったりしていたけど、アブラムシがついちゃった。
消毒してもらったら?って言われて、あっ、そうか!!!
植木屋さんに頼めばいいんだ!
“3mくらいの梅の木に、アブラムシみたいのがついちゃって”
植木屋さんに電話して、見に来てもらった。
“一本だけだと、割高になっちゃうけど”
仕方ない。来年もきれいに咲いて欲しいから。
話をしていたら、メジロが飛んで来た。
ぴよぴよと楽しげに鳴くこの鳥を、夫はハミングバードと呼んで、愛して止まない。
“ほんとだ。メジロのつがいだ”、植木屋さん。
“巣があるんですよ”
“あ、そうそう。あれ、メジロの巣”
もう、お願いしたあとだけど、切りたくなくなりました(泣)
梅子(梅の木の名前)のためでもあります。

結婚してわかった夫の花や植木音痴。
花や木の名前は知ってる。聞いたことがある。
でも名前と実際の花や木と結びつかない。
わかるのは、バラとチューリップくらい!!
昔、お花を買ってきてくれたことがあるのだけど、それが…

仏様用のお花だったのよ~。

まぁ、外国人にはわからないかもしれないけど。
これがアゼイリア(つつじ)、これがカメリア(椿)、これがガーデニア(クチナシ)等々、教えてあげてます。
草木の名前を知らないのは、家族ゆずりだった。
夫の実家に行った時、ダッドが自慢げに、
“これはクリスマスローズ。クリスマスの頃に咲くから。”

それ、ハイビスカスなんですけど~!

夫の弟が結婚して、お嫁さんにその話をしたら、
“これがクリスマスローズでしょ?”

それはポインセチアです!!

…教えてあげました。

Mum

夫の父が亡くなって、母、マムは一人暮らしになった。
一人暮らしは病気になった時に困る。特に年寄りは。
マムは元々とても細くて、体の強くない人だった。
病気になると外に出られない。買い物が出来ない。食べるものもなくなる。
食の細い人だったのが、ハムを1、2枚だけ。なんてこともあって、離れて住む私たちは死ぬほど心配した。
幸い隣の人がそれはそれはいい人たちで、マムは彼らのおかげで生き延びたと言っても、決して過言ではない。
父の存命中から老人ホームの申し込みをしていたが、医師がマムを優先的に入れるべきとして、入居が決まった。
住み慣れた家を離れることはショックだったに違いない。
私たちも実家に行き、夫の兄と弟も来て家の整理をした。
マムはそこに住む英国婦人会(English ladies club)の親しい友人を呼んで、好きなものをなんでも持って行って、と言ったけど、殆どは処分しなければならなかった。
老人ホームは介護付き(?)広いワンルームマンションという感じ。
車椅子でも使える広めのバスルーム、キッチンで自炊も出来る。(マムは3食ともホームにお願いした)
4人掛けのダイニングセットとソファのセット、ベッドとワードローブを入れた。(けっこう広い)
外にはバルコニーもあって、そこにもベンチを置いた。
完全に個人の自由が認められていて、ペットもOKだった。
引っ越しを済ませて、マムと私たちは3人でアイルランドに旅行した。
旅行の間は、私たちと一緒が嬉しいし、引っ越しのことも忘れられるからか、マムはとても楽しそうだった。
アイルランドの人たちも年寄りにとても優しくて。
マムは本当は私たちと暮らしたがっていたけれど、難しい。
マムは日本語を一言も話せない。(何年も習っていたけど)
友達もいないし、病気の時にお医者さんとコミュニケーションも出来ない。
入院しても、どこが悪いのか、何が欲しいのか、24時間ついていなくちゃ!
とても現実的でない。
かといって、あちらに私たちが行くことも、夫には仕事があるし、私の父もいるし、できなかった。
マムが老人ホームに入って、安心した。
独りでいたときの心配が無くなった。
私たちは年に1、2度ゲストルームに滞在して、マムと過ごした。
たまには短い旅行もした。
マムはいろんなことを忘れていくようになった。
特に話をする時に、単語が頭の中で見つけられなくなっていた。
言ってることはわかるけど、言いたいことが難しかった。
それでも私の手を取り、
”I got three. This is number four.”(マムは3人の息子がいる)
とてもうれしかった。
少しずつ、いろいろなことが難しくなっていった。
そして少しずつ、生きていくのがたいへんになっていった。
2003年の3月、アメリカがイラクに攻撃を始めた翌日、私たちは機上の人になった。
オランダのスキプホール空港に着くと、弟の奥さんが迎えに来ていた。
なんで?
”マムがストローク(脳卒中)で倒れた。今晩が山らしい。”
一晩、空港近くのホテルで休む予定をキャンセルし、電車に乗って3時間、老人ホームに向かった。
日本だったら、病院に運ばれて、点滴やいろんな計器を着けられている所だろうけど、マムは自分のベッドに寝ていた。
夜中、日付が変わって、息を引き取った。
ダッドが逝ってから10年後のことだった。
マムは待っていてくれたんだ。立ち会うことができた。
ダッドも私たちを待っていてくれて、ハートアタックで亡くなった。
ある意味、本当に幸運だった。
マムはダッドの写真にキスをしていた。
天国でまた一緒になれて、私の母とも会っただろう。
私はマムをとても愛していた。本当にかわいい人だった。
4人目になれて、幸せだった。

大切な思い出

結婚して半年あまり経って、初めて夫の実家に行った。
欧州系で一番安いサベナベルギー航空を利用した。(今はつぶれて、もうない)
ブリュッセル空港に着いたものの、雪で(2月)飛行機が飛ばず、4時間以上待たされた。
ようやく搭乗の案内があり、ゲートに行ってみると、バスより小さい飛行機が!!
(あんな小さい飛行機初めて見た!一列3人だったと思う)
雪の中、アムステルダムの空港に着いて、乗降口が開けられた。
そこに、地上スタッフ。
Congratulations!!!そして拍手!!
えっ?!そんなに危なかったの?!

荷物を取りに行って、二度驚いた!
なんと荷物を全く積まずに飛んだのだった。
そんなに危ないってわかってたら、ベルギーで一泊してたのに!!

空港から急行で3時間あまり。
雪で電車も影響を受けたらしく、途中から私だけが座れた。
時差と疲れで、泥のように眠った。

着いたのは真夜中。日付がかわる頃だったと思う。
駅のホームには夫の両親が肩に雪を積もらせて待っていてくれた。
(これを母に手紙で書いたら、自分の娘が歓迎されて、涙がでたって言ってた)

翌日、夫の弟もやってきて、3人で雪かき!
写真を見ると、15cmくらい積もってた。(東京と一緒で雪に弱いのね)
雪かきが終わり、家に入ろうとする弟の背中に、私は雪の球を投げた。
振り向いた弟の顔にいたずらっ子の笑顔!そして雪合戦!!
笑い声にマムも出て来た。
“Children, children, children. Don't be naughty !”
言ってるマムもものすごく楽しそうだった。
私が夫の家族から、心から愛された瞬間だった。